出荷目安の詳細はこちら商品説明ニューイヤー・コンサート2019クリスティアーン・ティーレマン&ウィーン・フィルドイツ音楽のゆるぎない伝統を現在に継承する巨匠ティーレマン、ニューイヤー・コンサート初登場新たな年を寿ぐ、ウィーン・フィルの華麗なワルツとポルカ毎年1月1日に行なわれるウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート。
クラシック音楽の中でも最も有名で、ウィーンの誇る黄金のムジークフェラインザールからTVとラジオを通じて世界90カ国以上に放送され、5億人が視聴するというビッグ・イベント。
1939年に始まる75年以上の歴史を誇るこのコンサートでは、音楽の都ウィーンを象徴するシュトラウス一家のワルツやポルカが演奏され、その高額のチケットは世界一入手困難と言われています。
2019年は、シュターツカペレ・ドレスデン首席指揮者、ザルツブルク復活祭音楽総監督を兼任し、名実ともにドイツ音楽の世界的巨匠と目されるクリスティアーン・ティーレマンがニューイヤー・コンサート初登場。
重厚かつしなやかで個性の強いティーレマンが気心知れたウィーン・フィルからどのようなワルツとポルカの世界を引き出すか、大きな期待が膨らみます。
演奏曲目は、定番の『美しく青きドナウ』『ラデツキー行進曲』などに加えて、2019年のさまざまなアニヴァーサリーなどテーマ性を織り込んだ多彩な作品で構成され、新鮮味十分です。
(輸入元情報)【クリスティアーン・ティーレマン プロフィール】1959年ベルリン生まれ。
シュテルン音楽院で学び、カラヤンのアシスタントに。
ベルリン・ドイツ・オペラ音楽総監督、ミュンヘン・フィル音楽監督を経て、2012年〜シュターツカペレ・ドレスデン首席指揮者、2013年〜ザルツブルク復活祭音楽総監督。
ワーグナー、シュトラウス、ブルックナーを中心とするドイツ音楽の巨匠。
(輸入元情報)【収録情報】
■ シェーンフェルト行進曲 Op.422(ツィーラー)
■ ワルツ『トランスアクツィオネン』 Op.184(ヨゼフ・シュトラウス)
■ 妖精の踊り(ヨゼフ・ヘルメスベルガー2世)
■ ポルカ・シュネル『特急ポルカ』 Op.311(ヨハン・シュトラウス2世)
■ ワルツ『北海の絵』 Op.390(ヨハン・シュトラウス2世)
■ ギャロップ[ポルカ・シュネル]『速達郵便で』 Op.259(エドゥアルト・シュトラウス)
■ 喜歌劇『ジプシー男爵』 序曲(ヨハン・シュトラウス2世)
■ フランス風ポルカ『踊り子』 Op.227(ヨハン・シュトラウス2世&ヨゼフ・シュトラウス)
■ ワルツ『芸術家の生活』 Op.316(ヨハン・シュトラウス2世)
■ ポルカ・シュネル『インドの舞姫』 Op.351(ヨハン・シュトラウス2世)
■ ポルカ・フランセーズ『オペラ座の夜会』 Op.162(エドゥアルト・シュトラウス)
■ エヴァ・ワルツ〜喜歌劇『騎士パースマーン』の動機による(ヨハン・シュトラウス2世)
■ 喜歌劇『騎士パースマーン』より チャールダーシュ Op.441(ヨハン・シュトラウス2世)
■ エジプト行進曲 Op.335(ヨハン・シュトラウス2世)
■ 幕間のワルツ(ヨゼフ・ヘルメスベルガー2世)
■ ポルカ・マズルカ『女性賛美』 Op.315(ヨハン・シュトラウス2世)
■ ワルツ『天体の音楽』 Op.235(ヨゼフ・シュトラウス)(アンコール)
■ ポルカ・シュネル『突進』 Op.348 (ヨハン・シュトラウス2世)
■ 新年の挨拶
■ ワルツ『美しく青きドナウ』 Op.314(ヨハン・シュトラウス2世)
■ ラデツキー行進曲 Op.228(ヨハン・シュトラウス1世) ニューイヤー・コンサート初登場となる作品 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 クリスティアーン・ティーレマン(指揮) 収録時期:2019年1月1日 収録場所:ウィーン、ムジークフェラインザール(ライヴ) 画面:カラー、16:9、HD 音声:PCMステレオ、DTS-HD Master Audio 5.0 Region All[特典映像](1)ウィーン国立歌劇場1869-2019今年建立250年を迎えるウィーン国立歌劇場を紹介する約24分の映像。
例年通りウィーン・フィルのメンバーによる演奏のほか、カミラ・ニュルンドとアドリアン・エレートによる喜歌劇「こうもり」の二重唱、ダニエラ・ファリーとラファエル・フィンガーロスによるモーツァルト「魔笛」の二重唱も。
バレエ・シーン(2)ワルツ「芸術家の生活」 作品316(3)喜歌劇「騎士パースマーン」より チャールダーシュ 作品441バレエ:ウィーン国立バレエ 振り付け:アンドレイ・カイダノフスキー 衣装:アルトゥール・アルベッサーウィーン国立歌劇場およびグラーフェネッグ城で収録 ブルーレイディスク対応機器で再生できます。
ニューイヤー・コンサートの歴史と指揮者たち創設者のクラウスに始まり、クリップス、そして25年にわたってヴァイオリンを弾きながら指揮したボスコフスキーの時代にTV中継が始まって世界的に知られるようになったニューイヤー・コンサート。
ボスコフスキーの後は、マゼール、カラヤン、クライバー、アバドなどウィーン・フィルと関係の深い指揮者が登場。
ヨハン・シュトラウス・ファミリーのワルツやポルカを中心に、ランナー、モーツァルト、シューベルト、ウェーバー、ブラームス、ベルリオーズ、スッペ、オッフェンバック、チャイコフスキー、ヴェルディ、ワーグナー、そしてR.シュトラウスにいたる作曲家の様々な作品が取り上げられています。
定番のアンコールである『美しく青きドナウ』と『ラデツキー行進曲』が固定化したのは1958年のこと。
1961年からはORF(オーストリア放送協会)が毎年生中継および録音を行なうようになりました。
ニューイヤー・コンサートの実際のライヴがレコード化されたのはボスコフスキー指揮の1975年のことで、ボスコフスキーによる最後の出演となった1979年にはデジタルでライヴ収録され、全曲がレコード化されたことで大きな話題となりました。
とはいえ1990年代まではコンサートの演目全曲がCD化されることはほとんどありませんでしたが、最近は全演目が録音後数日でCD化され、映像もDVDおよびブルーレイとして発売されるようになっています。
→ニュー・イヤー・コンサート検索クレメンス・クラウス [1893-1954 オーストリア]1939 1941 1942 1943 1944 1948 1949 1950 1951 1952 1953 1954 「ニューイヤー・コンサート」は、クレメンス・クラウスが、1939年の大みそかにその原型となる演奏会を指揮したのが最初とされています。
翌年度の1941年からは元旦の演奏会が恒例となり、クラウスは連合軍に指揮を止められていた1946年と47年を除き、亡くなる年の1954年まで「ニューイヤー」の指揮台に上り続けました。
この1954年のニューイヤー・コンサートはレコードに記録された最も古い「ニューイヤー」として知られています。
創始者クラウスが指揮した最後の「ニューイヤー」という意味でも貴重な録音ということができますが、なにより凄いのは演奏そのもの生命力。
ポルカなどクライバーよりも速い猛スピードぶりです。
また、このホットな演奏をいっそう雰囲気豊かに引き立てるのが、曲間に挿まれる女性アナウンサーによる案内だったり、聴衆の拍手だったりするわけですが、それらが現在定着しているスタイルとは少なからず異なっているのも興味深いところです。
例えば「春の声」では開始と同時に自然に大きな拍手が沸き起こり、クラウスは一度演奏を止めてあらためて開始していますし、「ラデツキー」には手拍子がありません。
また、同じ曲を繰り返す、字義通りの「アンコール」が5曲もあります。
ヨーゼフ・クリップス [1902-1974 オーストリア]1946 1947 ヨーゼフ・クリップス[1902-1974]はウィーン生まれのオーストリアの指揮者。
ワインガルトナーらに師事し、1921年、19歳でワインガルトナーの助手、コレペティトゥーアとしてウィーン・フォルクスオーパーと契約。
当時のフォルクスオーパーは『サロメ』や『トスカ』など新作オペラ上演にも熱心な通常のオペラハウスで、クリップスはここで指揮助手のほか、歌手のコーチや合唱の指導もおこなって経験を積み、その後、25歳の若さでカールスルーエ国立歌劇場の楽長に就任、1935年には33歳でウィーン・アカデミーの教授となっていました。
続くヴィリー・ボスコフスキー [1909-1991 オーストリア]1955 1956 1957 1958 1959 1960 1961 1962 1963 1964 1965 1966 1967 1968 1969 1970 1971 1972 1973 1974 1975 1976 1977 1978 1979 1909年6月16日、ウィーンに誕生。
ウィーン音楽アカデミーに学び、1932年にウィーン国立劇場管弦楽団に入り、1939年にコンサートマスターに就任。
ウィーン・フィルには1970年まで在籍し、この間「ボスコフスキー四重奏団」「ウィーン八重奏団」「ウィーン・フィルハーモニー四重奏団」を組織、室内楽の活動もおこないます。
ウィーン・フィルによる「ニューイヤー・コンサート」への指揮者としての登場は、1954年に創始者であるクラウスの死去にともなう窮余の一策でしたが、ヨハン・シュトラウス2世のようにヴァイオリンをもち、弓で拍子をとり表情をつけ、コンサートは大成功。
1970年にウィーン・フィルを脱退しますが、1979年まで「ニューイヤー・コンサート」の計25回も指揮台に立ち続け、その後は各地に客演活動を展開。
1991年4月21日にスイスのナスティで死去。
ロリン・マゼール [1930-2014 アメリカ]1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1994 1996 1999 2005 1930年3月6日、パリ近郊で、ユダヤ系でロシア系の父と、ハンガリー系でロシア系の母の間に誕生し、ほどなくアメリカに移住。
ピッツバーグで育ったマゼールは、幼少期から音楽的才能を示し、4歳でピアノ、5歳でヴァイオリン、7歳で指揮を学び、8歳でアイダホの大学のオーケストラを相手にシューベルトの『未完成』で指揮者デビュー。
翌年にはニューヨークの世界博覧会に出演してオーケストラを指揮、天才少年指揮者として大きな話題となりました。
続くヘルベルト・フォン・カラヤン [1908-1989 オーストリア]1987 1908年4月5日、外科医の父エルンストと母マルタの次男として、モーツァルトの故郷オーストリアのザルツブルグに生まれました。
生年時の本名はヘリベルト・リッター・フォン・カラヤン。
3歳のときにピアノを習い始め、4歳半で公開演奏をおこなうなど、当時はピアノの神童として騒がれていました。
続くクラウディオ・アバド [1933-2014 イタリア]1988 1991 …
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